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何者?逃げ若 関東庇版衆の石塔範家氏について徹底調査! / 逃げ上手の若君 ジャンプ2022年45号 第81話感想 

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※2022年WJ45号 逃げ若以外の作品の感想はこちら

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渋川義季 VS 祢津小次郎の戦いも佳境に

斯波孫二郎が渋川殿の武に憧れを抱いていること、
渋川殿が足利に対し(というか足利直義個人に対し?)
忠義を抱いた背景も描写されました。

ただでは倒されない渋川に対し、小次郎も何やら覚醒の予感?
また味方陣営に変態稚児が増えてしまいそうw
そして望月殿と岩松殿の戦いも決着。
史実から予想された展開でしたが、ほんと、あっさりとどめを刺しにいきますね、このマンガ。いい意味で容赦がない。

石塔家はどんな一族?

逃げ若の今後の展開バレ(史実)について記載しています。
ご注意ください!!

ざっくりまとめ
石塔家は尊氏の指示のもと奥州を統治していたよ!
やがて尊氏に反発するけど、観応の擾乱で尊氏に敗北するよ!

第80話で亜也子と死闘を繰り広げた石塔範家氏。
白拍子天女鶴子ちゃんの痛鎧がインパクト大でしたが、
歴史上は超マイナー人物だったようです。
(後述しますが、石塔範家の名前が書籍にまったく登場しないんです、、、💦)

Wikipedeaには以下の家系図が掲載されています。
石塔 家系図

この図の出典は「室町幕府守護職家事典」ですが、
遠方の図書館の蔵書のため、閲覧を断念。
他の書籍で、石塔家のことを調べました。

石塔家で歴史上名前が良く知られているのは
石塔範家氏の父、石塔義房と、その嫡子、石塔頼房となります。
どちらも生没年不詳、足利方の武将として活躍しました。

逃げ若の第81話は1335年が舞台ですが、
石塔義房氏の名前が最初に歴史に登場するのは
1334年(建武元年)。

このとき石塔義房は伊豆、駿河両国の守護代でした。
(守護代
ざっくり説明すると、幕府の指示のもと、地方を統治してね~と
任命されるやつ)

その後、石塔家は
1337年頃(建武4年)~1345年頃(康永4年)頃
足利尊氏のもと、奥州におくられ、その支配に携わりました


(伊豆・駿河守護代の実績があったから、奥州統治を任されたのでは、
と書いてる書籍もありましたが、
伊豆(静岡あたり)から奥州(福島から北側)に移動するの、
けっこう大変でしょうね、、、と思うなど。)

石塔家は陸奥国石塔(会津若松市石堂町)を領していましたが、
大日本史」によれば
その後尊氏が陸奥国の仕置(統治)を吉良貞家に委ねたことに反発。

「俺らの統治領を吉良家のものにしやがって!尊氏許さん!」

ということで観応の擾乱(かんのうのじょうらん / 観応元年 1350年~)では
尊氏と敵対。結果、石塔家は尊氏に敗北。
やがて歴史からも姿を消していきます。

観応の擾乱について詳しくはこちら

観応の擾乱とは - コトバンク

北条時行足利直義と、石塔氏の関係は?

ざっくりまとめ
石塔家は中先代の乱で鎌倉を防戦するのに関わってたぽいよ!
史実でも「逃げ若」と同じく、足利直義と深い結びつきがあったぽいよ!
 

1335年(建武2年)、北条時行が鎌倉に攻め入ったとき
(ちょうど、現在の逃げ若(81話))のあたり、)
「続本朝通鑑」によれば

石塔義房は、鎌倉を支配していた足利直義に対し
「鎌倉から出て時行を攻撃しよう!」とのべたようですが、
直義は「鎌倉で防戦」することを選択。
結局、「防戦」したために鎌倉からに逃げ出さなければならなかった

と記しています。
この記載より、石塔「義房」は直義に、
戦いの方法について意見をのべられるような
深い結びつきがあったことがうかがえます。

一方、逃げ若の「石塔範家」は直義の指示のもと、
女影原の戦いで時行を迎え撃ち、時行の郎党、望月亜也子に敗れます。
逃げ若では足利直義石塔範家に対し

「おまえが足利家のため 強くなるために創り上げた空想の女(鶴子ちゃん)を
私も誇りに思う」

この足利直義の言葉・態度に感銘を受け石塔範家足利直義に対し
忠義を尽くすことを誓います。

史実でも逃げ若でも「石塔家は足利直義」と深い結びつきがあった
ことがうかがえます。

石塔範家氏の描写から、逃げ若の展開を予想する!

逃げ若内で「石塔は足利直義と深い結びつきがあった」という描写があるので、
石塔家が観応の擾乱(1350年頃)で足利直義につく、史実通りの展開が、逃げ若でも
出てくるかもしれません。

観応の擾乱(1350年頃)が描かれるということは、
そのころの時行たちも描かれる??

石塔家の他のメンバー
石塔範家氏の父、石塔義房と、その嫡子、石塔頼房も登場する??
彼らにもまた鶴子ちゃんのような「推し」が存在する??

このあたりが気になります!
そこまで連載が続くよう、アンケートを出し続けなければ!

石塔範家氏は史実でも関東庇番
五番組筆頭だったのか?

ざっくりまとめ
ふるーい系図集には、範家の名前が出てくるよ!
建武記」という書物の中で関東廂番 五番頭人に「丹波左近将監範家」とあるのを
「石塔範家」だと考えている研究者もいるよ!

わんこたんの調査範囲では、石塔範家氏が関東庇番衆の一員だった、という情報は確認できなかったため、松井先生の創作と思われます。

なぜ松井先生は範家をこの形で登場させたのでしょうか。
おそらく、吉良満義氏(草おいしいwwwで登場した人)が足利直義の元で関東庇番6番頭人であった、ことが史実として確定しているので、
「じゃあ5番組筆頭は誰なのか?」
という問題が生じることを防ぐため、歴史上記録の少ない石塔範家氏を、抜擢したと予想しています。

2022/10/30追記

「中世南奥」の地域権力と社会 / 小林清治 編

という本の

「石塔氏小考 / 渡部正俊 執筆」

の箇所に、石塔範家氏の名前を確認できましたので、
以下に概略を引用します。

尊卑分脈」(南北朝室町時代にかけて作られた日本の初期の系図集)によると、
石塔義房には範家・頼房・義元と三人の子息があったように記されている。
太平記」などにはあらわれなかった範家だが、
遠藤巖氏「石塔氏」(一一八頁)には、
建武記」の関東廂番 五番頭人に「丹波左近将監範家」とみえるのが
石塔範家であったと考え、
おそらくは、中先代の乱で一番頭人渋川義季らと共に戦死したものであろうかと推測している。この時期、範家に関する史料はその外にはみられない

というわけで、逃げ若の作者、松井優征先生(及び、逃げ若歴史監修の本郷和人先生)は
遠藤巖 著「石塔氏」の記載をもとに、石塔範家氏を関東庇番 五番組筆頭に任命したものと思われます。

さらに石塔氏を通じて望月亜也子の活躍と心情、
諏訪の神秘性をまとめて表現。
松井先生らしい「兼ねる」配役でした。合掌。

白拍子天女鶴子ちゃんの正体

なぜ石塔範家氏の心に鶴子ちゃんが宿るに至ったか、
第80話で明らかになりました。
過去に偶然、諏訪で彼女をみかけたことが
きっかけであったと示唆されていますね。

逃げ若の関東庇番について

こちらの記事もぜひご覧ください!

bowbookwow.com

参考資料

日本家系・系図大事典 奥富敬之 ISBN 978−4−490−10736−4

日本古代中世人名辞典 ISBN4−642−01434-9

「中世南奥」の地域権力と社会 / 小林清治 編 ISBN4−87294−226-4

 

本記事は上記の参考資料をもとに記載しましたが、
わんこたんは歴史の専門家ではないので、
間違いがあればぜひご指摘ください。

参考文献も教えていただけると
大変ありがたいです!

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