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【逃げ若】斯波孫二郎(斯波家長)について解説!【逃げ上手の若君】

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時行に立ちはだかる!関東庇番の斯波孫二郎

「逃げ上手の若君」で鎌倉奪還を目指す北条時行(主人公)。
時行を迎え撃つは、足利直義率いる、関東庇番衆。
「逃げ若」の斯波孫二郎は庇番衆の頭脳派として、
強力な武将たちを動かし、時行勢を苦しめます。
史実の「斯波孫二郎」はどのような人物だったのでしょうか?

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斯波家はどのような役割を果たしたの?

斯波家は足利尊氏を筆頭とする足利一門の中でも最上位の家格で、北条家を打ち倒し新たな幕府を開いた足利尊氏を支えました。

 

斯波高経(しばたかつね:孫二郎の父ちゃん)も尊氏と一緒に出陣して、鎌倉幕府滅亡(1333年)に貢献したよ。

 

やがて尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻すと(1335年頃)
南朝方(後醍醐側)の新田義貞を、斯波高経と高師泰が迎撃、討ち取ります。

※高師泰(こうのもろやす)

 

1349年に幕府執事の高師直(こうのもろなお)&尊氏と尊氏の弟の直義の対立が表面化すると、高経は情勢に応じて尊氏に帰順したり直義に帰順したりします。

日和見主義だねえ

斯波高経は最終的には尊氏に帰順するぞ

 

斯波孫二郎=斯波家長(しばいえなが)は
どのような人物?

生年・出身地は不明。
※逃げ若世界では1321年生まれ=中先代の乱時点で14歳となっていますが、わんこたんの確認した資料では生年不詳でした。

孫二郎という名前は「尊卑分脈」に登場する「仮名」のようで、(要検証)正式な名前は斯波家長(しばいえなが)となります。斯波高経の長男で、父高経と共に足利尊氏に仕えました。

1333年、鎌倉幕府が足利尊氏によって滅ぼされると(逃げ若第1話のシーン)尊氏は関東の抑えとして自分の嫡男 足利義詮(よしあきら)を鎌倉に残します。

鎌倉幕府(北条家)が滅亡したとは言え、まだ生き残りもいて当時の鎌倉は不穏な空気。まだ4歳だった義詮を補佐するために、尊氏は斯波家長を鎌倉へ派遣しました。

やがて足利尊氏の弟、足利直義が鎌倉にやってくることとなり、家長は直義と共に義詮を支えて関東経営にあたります。

1335年北条時行が信濃に攻め込んでくると(中先代の乱)その猛攻によって家長、直義は義詮を連れて駿河に逃走。結局、京からきた尊氏の援軍と合流して、時行に一時奪われた鎌倉を奪還します。

 

その後足利尊氏は建武の新政から離反し、、、
つまりこれまで協力関係にあった後醍醐天皇に反旗を翻すんだけど、
家長は尊氏に従ったんじゃ。

 

後醍醐天皇のもと、奥州を鎮撫していた北畠顕家は尊氏追討のために陸奥を出て進軍。迎え撃った斯波家長はこの戦いで、1337年に敗死します。

逃げ若「中先代の乱」の2年後じゃ

孫二郎(家長)の最期も逃げ若で描かれるのかなあ

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その他の関東庇番衆については↓の記事もどうぞ。

 

bowbookwow.com

本記事は以下の資料を参考にさせていただきました。

室町時代人物事典 / 水野大樹

ISBN 978-4-7753-1179-0