その奇想天外で難解な世界観について、感想を率直に語ります。
著者とあらすじ
韓国の人気実力派作家パク・ミンギュの短篇集。奇想天外なSF、現実的で抒情的な作品など全9篇収録。サイドAとサイドBの2冊に分かれた短編集で、二巻本のどちらから読んでも大丈夫です。この記事ではサイドAのみ紹介していきます。
全体的な感想 ~視覚的な工夫がおもしろい~
この本、文章の途中、唐突に空白を挿入するという技法?を多用しています。
私たちも考え事するときに、ふと、思考が途切れたり、止まったりすることがあると思いますが、本書の空白はそういった「間」の描写かなと。
登場人物の思考と一体化していくような、不思議な感覚を味わえます。
他にもフォントサイズが途中で変わるなど、視覚的な工夫がおもしろいです。
各短編の感想
本書には9作品収載されていますが、前半3作は現在の韓国を舞台に、後半6作はSFベースの作品です。
1作目「近所」
主人公は、最終的にすべてを諦め、
自分の人生をただ傍観するだけの存在になった、と解釈しました。
(これを作中では「人生の近所にいる」という独特の言い回しで表現しています。)
途中で、あたかも並行世界が存在しているような描写があるのですが、人生の「傍観者」になってしまったがゆえに、確固としたひとつの「世界」に足をつけることができなくなってしまった、と、考察します。
ちょっと幸せなことがあっても、結局ゆり戻されて、あきらめて。
最終的には自分の人生を自分事と認識することもなくなり、自分という誰かを俯瞰する「何か」となっておわる。
そんな、「諦めの物語」でした。
2作目「黄色い河に一そうの舟」
主人公は認知症の妻を支える老いた男性です。
1作目と同様、病気や家族との断絶などに悩み、葛藤しつつ、もがきながら生きる人々が描かれます。(おそらく、現代韓国の経済問題なども投影されています)
どちらの主人公も、日々の苦しみで心が摩耗して、今にも消えてしまいそうです。そんな彼らの苦しみが、読み手の心の隙間に、カードのように差し込まれる、そんな短編でした。
重たい展開ではありますが、一筋の光が差し込むような、そんなラストシーンが印象的でした。認知症は元に戻らないけど、
個人的にはこの2作目が一番好きでした。
3作目「グッバイ、ツェッペリン」
広告の仕事で使う「飛行船」の係留ロープが切れてしまった!
飛行船を追いかける、奇想天外なドタバタコメディーです。
4作目「深」
深海を探索するモノたちの物語。
ある人物が語る
大昔の人類ってどんなに想像を膨らませても
「あの山の向こう」とか「あの地平線の先」くらいしか想像が及ばなかったはず。
現代人類は、月や星、宇宙を観測し想像することができる。ミクロの細胞、たんぱく質、分子を観測でき、その存在をイメージできる。
これを、作中では「膨張」と表現しています。
一方で「観測」や「想像」はできても、身体がそこに到達するのはまだ難しい。でも「身体」は先に膨張した意識に到達、追い付こうとしている。追いつくために、私たちはなにをしようとするのか?
というわけで、「深」の物語では、人間の肉体を改造して、膨張の先に身体が追い付けるようにしようとするのですが、、、
7作目「グッドモーニング、ジョン・ウェイン」
驚愕のホラーSFものとして、楽しめます。
ここまでつらつらと書きましたが、全体的にが解釈しづらい、物語として理解することすら難しい作品たちでした。(特に4,5,6,8,9作目)
つまりあんまり面白くなかったです。(小声)
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斎藤真理子さんの「あとがき」がおもしろい
訳者の斎藤真理子さんによる、韓国ならではの独特の背景や、表記の工夫などの解説があり、「なるほど!あのエピソードはこういう意味だったのね」と思う箇所が多々ありました。本当は、そういうのを本文中にわかりやすく注釈いれてほしかったけど。
(2作目に登場する韓国の高級魚イシモチのこととか)
ぜひ、後書きまで漏らさずお読みください。