あふれる想像力と驚きに満ちた、珠玉の短編たち!その感想を語り尽くします。
円 劉慈欣短編集の概要・あらすじ
1999年発表の著者デビュー作「鯨歌」から2014年作の「円」まで、日本では初訳となる4篇を含む全13篇を発表順に収録した、「日本初の劉慈欣短編集」が登場。
異星文明と人間の接触、農村、貧困、歴史とSFの融合、新エネルギーなどなど、「三体シリーズ」を読んだ方にとって、思わずニヤリするモチーフがたくさん登場。
劉慈欣作品の入門として、楽しめます。
特に表題作の「円」。
「三体シリーズが気になるけど、長編だし好みに合うか不安」というあなたに
2023年2月に文庫化!手に取りやすい価格も魅力。
- 著者:劉慈欣
- 翻訳:大森望、泊功、齋藤正高
- 発売:2021/11/17 早川書房
劉慈欣作品の魅力とは、そもそも何か
人間(ミクロ)と科学(マクロ)のつながり、が劉慈欣作品の最大の魅力。
SFらしい科学アイデアだけでなく、それが私たちに何をもたらすのか、社会がどう変化するのか、リアリティを持って描かれています。
中国の歴史や社会問題を反映した作品も数多く、劉慈欣氏ならではの世界観を確立しています。
「円 劉慈欣短編集」 各話のあらすじ
各短編のあらすじと感想です。特によかった作品には(★)をつけました。
鯨歌 1999年
劉慈欣氏の商業誌デビュー作。ドラッグの密輸方法に悩むマフィア。鯨を使った驚くべき密輸方法とその顛末とは。
科学の力でのさばる悪も、原始的な悪にはかなわない。という皮肉じみたストーリー。
デビュー作ということで、正直おもしろさには欠けますが、ニュートリノ検出器が登場したり、「ピノキオ」のような牧歌的なアイデアと、ワーナーおじさんの残虐さ・悪辣さのギャップ感など、劉慈欣作品の片鱗があらわれています。
地火 2000年 (★)
かつて栄えた炭鉱の町もエネルギー資源の移り変わりに伴い、廃れようとしていた。炭鉱夫を父に持つ主人公:劉欣は、新技術「石炭地下ガス化」で炭鉱の町をふたたび蘇らせようとするが、人間の想像を超えた危機が町に襲いかかる。
劉慈欣作品にはエネルギー問題をテーマにしたものが多いです(本作「地火」では石炭エネルギーや石炭ガス発電、「三体シリーズ」では制御核融合技術)。著者自身の発電所のエンジニア経験が反映されているためでしょうか。
「石炭ガス発電」自体は実際に実用化に向けて開発の進む技術ですが、本作ではそれを、専用施設ではなく、炭鉱で直接行います。まさに、劉慈欣氏の得意とする、現実との境目がはっきりしないSF、という構図。
科学だけでなく、貧困にあえぐ炭鉱町の描写も胸を打ちます。特に、町に襲い来る「地火」の恐怖は臨場感たっぷり。その恐ろしさにハラハラし、絶望すること間違いなし。
と思いきや終盤で物語の舞台は未来へ。未来の子供が博物館でみる「炭鉱の歴史」が切ない。
郷村教師 2001年 (★)
冒頭の「小さな窓が別世界に通じる扉のように見える」と一文。まさか、本当に別世界が出てくるとは!
貧しい農村で、子供たちに教育を続ける教師。給料を貧しい教え子のためすべて使ってしまい、自身の食道がんの治療も受けられぬまま。命の灯火が消えるその一瞬まで授業を続けようとしますが、、、
まず農村の貧困描写がすさまじい。これは本当に現代中国の描写なのでしょうか。
本文中に「何年も前のことだが、生産請負制が導入されることになり」と書かれており、生産請負制が始まったのが1980年頃なので、何年も前=10年以上前と考えるなら、1990年以降が舞台と考えられそうですが。
本作ではたんに生活の貧しさだけではない。村を蝕む無知がこれでもかと描写されます。
無知が貧困をもたらすのか、あるいは逆なのか。とにかく「貧しさ」の解像度が高く、これがSF作品であることを忘れそうになるほど。
- 支援で村におくられた地下水の汲み上げポンプを、売り払って年越しのご馳走につかってしまう。
- 金のためにあっさり土地を手放し、その土地に建てられた工場の汚染水で健康を害する。
- もちろん字なんか読めない
「三体」の文化大革命とその後の上山下郷運動の描写もそうですが、SFとは思えない、生々しい貧しさ、生活の苦しさの描写も、劉慈欣作品の特徴!
そして、舞台は5万光年離れた天の川銀河の中心部へ
貧しい農村と5万光年離れた銀河の星間戦争!このギャップ間がたまらない!
死にゆく教師は子供たちに何を残すのか?星間戦争の結末は?
収録作品の中でもっとも泣ける作品。ぜひご覧あれ。
繊維
無数の並行宇宙から迷い込んだ人間たち。お互い、元の世界の様子がちょっとずつ違うようで、、、
地球の色が紫だったりピンクだったり。10進法が常識だの20進法が正しいだのでもめ始める、コントのようなSF作品。
こんな地球もありえたのかも?と、ニヤニヤしながら読みました。
メッセンジャー
苦悩する老人。人類に未来はあるのか?自分の発見が、人類を滅ぼすのではないか?
そんな老人のもとに現れた青年。青年は不思議なヴァイオリンを老人に手渡す。
多少知識のある方なら、老人の正体について、冒頭1,2ページで気づくのでしょう。私は全く気付かなかったよ!
栄光と夢 2003年(★)
2001年に開催決定された北京オリンピック(2008年)を題材にした作品です。
戦争突入間際のシーア共和国。
ゴミ漁りをして食いつなごうとする少女シニのもとに、国家スポーツ局のクレイルが現れる。
シニをはじめ、シーア共和国でかつてスポーツ選手だった者たちをあつめ、一行は北京オリンピックの会場へ。
スポーツの祭典とは思えない、ものものしい雰囲気に包まれたオリンピック会場。参加国はアメリカ合衆国とシーア共和国のみ。このオリンピックの正体は。
「オリンピックの理想」への痛烈な皮肉に満ちたこの作品。結末も含めて、全てが衝撃でした。
スポーツで紡がれる美しい物語。平和。それは幻想でしかないのかもしれません。
なお、同じ時期に書かれた「超新星紀元」も戦争とスポーツを掛け合わせた題材が登場するので、何か近いものを感じます。
円円のシャボン玉 2004年(★)
劉慈欣作品としてはめずらしく、明るいトーンの作品。
砂漠化のすすむ中国西北部の都市。緑化開発に失敗し、やがて消えゆこうとしている都市の未来を憂う父をよそに、娘、円円(ユエンユエン)はシャボン玉遊びに魅了されていきます。
「こんななんにもない退屈な場所、ほんとに大きらい!」と言い放つ娘。なんとか都市を存続させようとする父。ふたりの心の距離は次第に離れていきますが、、、
実際にこんな夢のような技術が開発されたら、と思わずにはいられない作品。互いを思う親子の絆が、砂漠にふる雨のように、心にしみわたります。
人生 2003年
胎児、母親、博士の対話形式による物語。
人間の脳に、活性化されていないだけで、前世の膨大な記憶や知識が受け継がれていたら?
その記憶や知識を生まれながらに活性化できたら、「転生もの」みたいに人生無双できちゃう?それとも、、、?
知らない世界に飛び込んでいく、勇気・冒険心はどこから来るのか、考えさせられます。無知なまま人生という荒海に放り出されるのも、悪いことではない、のかも。
円 2014年 (★)
三体シリーズ1作目「三体」のとあるシーンを抜き出し、短編として改編した作品。
第50回星雲賞海外短編部門 受賞作。
秦の始皇帝と荊軻。歴史上では「暗殺対象」と「暗殺に失敗した暗殺者」という2人ですが、この作品では荊軻が始皇帝の部下となる「lf」が描かれます。
不老長寿を追い求める始皇帝。荊軻は始皇帝に対し完璧な図形「円」にこそ、不老長寿の秘密が隠されていると説きますが、、、
紀元前の時代に円周率を10万桁まで計算!?荊軻が考え出した驚きの方法とは?
本短編集では1番後ろに掲載されていますが、ずば抜けて面白い、劉慈欣氏を代表する短編と言えるでしょう。(つまり、もととなった三体シリーズがやっぱりめちゃくちゃ面白いんですよね)
本作はすでに中原尚弥さん訳で「折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー」でも発表されていますが、今回は大森望さんが翻訳。
両者を読み比べましたが、訳者が違うと雰囲気も大きく違います。大森望さんの翻訳は、より日本語寄り、自然さ重視な、といったところでしょうか。
円周率を計算するというアイデアと歴史の融合がおもしろいのはもちろん、始皇帝と荊軻がどのような結末を迎えるのか、人間ドラマにも要注目。
(少しネタバレ)実際に荊軻の考えたアイデアを現実に実行するにはコンピューターでいう「クロック」「同期」の仕組みが必要ですが、そこをどうクリアしたのか?という疑問はあります。が、SF作品ですし、そこらへんは気にしないくらいがちょうどいいのかな。
後書きには、よれば、原始的なやり方でコンピューターの代わりをする、というアイデアで以下の作品があわせて紹介されていました。
- 10の世界の物語/アーサー・C・クラーク
収録作品である「彗星の中へ」がそろばんSF短編、とのこと - アリスマ王の愛した魔物/小川一水
- 目を擦る女/小林泰三
収録作品の「予め予定されている明日」に、そろばんで世界のすべてを計算する種族が登場します。
もしこの世界が全て計算によって生み出されているものだとしたら?
その計算がそろばんでチマチマ計算されていたら?
シュールでホラーな世界観。ぜひチェックを!
まとめ
温かさにあふれた表題作「紙の動物園」など、珠玉の15編が収録された短編集です。